神戸地方裁判所 平成6年(行ウ)18号 判決 1995年11月27日
原告 山下由加里 外一名
被告 兵庫県知事
主文
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が原告らに対して平成五年九月二〇日付けでした公文書非公開決定処分を取り消す。
第二事案の概要
一 本件は、原告らが、兵庫県の公文書の公開等に関する条例(昭和六一年兵庫県条例第三号。以下「本件条例」という。)に基づいて、原告山下由加里(以下「原告由加里」という。)の分娩に関する医療措置の内容を知るため、被告に対して、原告由加里の分娩に関する診療報酬明細書の公開請求をしたところ、被告が右文書を非公開とする旨の決定をしたことに関し、右決定は本件条例の解釈適用を誤った違法なものであると主張して、その取消しを求めた事案である。
二 争いのない事実
1 原告らは、本件条例二条一項に規定する実施機関(以下「実施機関」という。)である被告に対し、平成五年九月七日、同条例六条により、原告由加里の平成五年五月七日の分娩に関し、訴外とみた産婦人科(以下「訴外産婦人科」という。)から兵庫県社会保険診療報酬支払基金へ提出され須磨社会保険事務所に送付された診療報酬明細書の公開を求める請求書を提出した。
右明細書は、政府管掌健康保険制度による診療報酬支払いのため、保険医療機関から社会保険診療報酬支払基金へ提出され、同基金から所管の社会保険事務所(社会保険庁の出先機関)に送付されたものであり、本件条例二条二項に定める「公文書」に該当する(以下、右明細書を「本件公文書」という。)。
2 被告は、同月二〇日、原告らの右請求に対し、本件公文書には、患者の健康状態等心身の状況等に関する情報であって、特定の個人が識別され得るもののうち、通常他人に知られたくないと認められるものが記録されており、本件条例八条一号に該当するとして、本件公文書の公開を行わないことを決定し(以下「本件処分」という。)、同月二四日、その旨を記載した公文書非公開決定通知書を原告らに送付した。
3 原告らは、本件処分を不服として、被告に対し、平成五年一〇月一四日付けで異議申立てをした。
4 被告は、右異議申立てを受け、本件条例一二条一項に基づき、公文書公開審査会に諮問を行い、同審査会の答申を受けて、平成六年二月九日、右異議申立てを棄却する旨の決定をし、そのころ、原告らに同決定を通知した。
5 兵庫県においては、未だ個人情報保護条例は制定されていない。
三 争点
1 公文書公開制度と自己情報開示制度の関係。
(一) 被告の主張
本件条例は、憲法二一条等により導かれるいわゆる「知る権利」を実定法上の権利として実現するものとして、住民に対し、公文書の公開を請求する権利を創設的に認めたものであるが、憲法一三条により保障される「幸福追求権」の一環としてのプライバシー権を発現する自己情報開示請求権とは基本的に別個の制度であって、本件条例によって自己情報開示請求権が認められるものではない。
(二) 原告らの主張
公文書公開制度と自己情報開示制度とは別個無縁のものではなく、公文書公開制度は、自己情報開示請求を含めた個人の権利・利益を保護する機能が期待されるものであり、憲法一三条の趣旨を没却しないような解釈・運用がされるべきである。そのうえ、本件条例一条は、県政の推進という客観的な民主主義的役割とともに県民生活の向上という主観的な権利保護の役割を目的として掲げているから、本件条例は、自己情報開示請求権を積極的に認めているものというべきである。
また、東京都や神奈川県等では個人情報保護制度が、大阪府や埼玉県では情報公開制度内における本人開示制度がそれぞれ制定されており、これらによって自己情報の開示が行われていること、本件条例と同様の規定により個人情報を公文書公開の適用除外とし、自己情報開示請求権を認める明文規定をもたない条例でありながら、本人に対して情報公開を認める運用をしている地方自治体もあることに鑑みれば、本件条例でも自己情報開示を認めなければ、憲法の保障するプライバシー権や平等原則に反することになる。
2 本件公文書は、本件条例八条一号に規定する非公開事由に該当するか。
(一) 被告の主張
本件条例は、五条に規定する請求権者に対しては、等しく、二条二項に規定する公文書を公開することを原則とする一方で、八条各号に該当する公文書については、請求権者の如何にかかわらず適用除外事項として規定している。
したがって、本件条例八条一号に規定する情報が記録された公文書については、当該情報に係る本人からの公開請求があった場合においても公開することはできない。
ところで、本件公文書には、原告由加里の健康状態及び心身の状況等に関する情報が記録されており、当該情報は、特定の個人が識別され得るもので、特定の個人の主観的判断の如何を問わず、社会通念に照らして判断すると、他人に知られたくないと思うことが通常であると認められる情報であるから、本件公文書を非公開とした本件処分は適法である。
なお、公文書の公開の必要性は、公開すべきかどうかの判断基準とはならない。
(二) 原告らの主張
本件条例は、情報公開制度における個人情報の取扱いとして、個人情報も原則的に公開の対象としつつ、プライバシー保護の観点から一定の個人情報のみを非公開とする立場を採用しているものであるから、適用除外事由である八条の解釈は厳格にされるべきである。
本件条例八条一号は、プライバシー情報を非公開とすることにより、個人のプライバシーを保護しようとする趣旨であるから、当該プライバシー情報の主体である本人が公開請求する場合には、権利者自身による禁止の解除があるというべきである。そして、同号は、「通常他人に知られたくないと認められるもの」と規定しているのであり、「本人」からの請求でも適用除外事由に該当すると解するのは失当である。
本件公文書は、原告らと訴外産婦人科との間の紛争において、重要な証拠となるものであり、本件公文書の公開の必要性は極めて高いものであることも考慮すべきである。
第三争点に対する判断
一 争点1について
1 住民の公文書公開請求権及び自己情報開示請求権は、いずれも憲法により直接付与されるものではなく、制度理念の実現を指向する地方公共団体が、一方で個人のプライバシーや自己情報コントロール権に配慮しつつ、他方でその属する行政事務の公正かつ効率的な執行との調和を考慮しながら、自ら立法政策として条例を制定することにより、初めて具体的な権利となり、その内容、保障の限界等が定まるものである。
2 そこで、公文書公開制度と自己情報開示制度との相違点について検討するに、なるほど、公文書公開制度と自己情報開示制度は、行政機関が保有する情報の公開を求めるという権利を保障するという点においては共通する側面を有している。
しかし、公文書公開制度は、憲法二一条等から導かれるいわゆる「知る権利」を実体法上の権利として実現しようとするもので、本件条例も、公文書を公開することにより、住民の県政への参加をより一層推進し、行政の公正な運営を確保するために定められたものであって、一条において「この条例は、公文書の公開を請求する権利を明らかにするとともに、公文書の公開及び情報提供の推進に関して必要な事項を定めることにより、地方自治の本旨に即した県政の推進と県民生活の向上に寄与することを目的とする。」ことを明らかにし、三条一、二項において「実施機関は、公文書の公開を請求する権利が十分に保障されるようこの条例を解釈し、及び運用するものとする。実施機関は、県民が必要とする情報を迅速に提供する等その保有する情報を広く県民の利用に供するよう努めるものとする。」ことを明らかにしている。一方、コンピューター等の普及により、公権力や一般企業による個人情報の収集、保管、加工、利用、伝播が可能となった結果、この個人情報を乱用するおそれが増大した現代の高度情報化社会においては、自己に関する情報の流れをコントロールする権利(いつ、どのように、どの程度まで他者に伝達するかを自ら決定する権利、いわゆる「自己情報コントロール権」)は、憲法一三条の精神に照らして十分に尊重されるべきものであるところ、自己情報開示制度は、右の自己情報コントロール権を実体法上の権利として実現しようとするものである。
そうすると、両者は基本理念を異にし、性質や法技術的対応において独自の考慮を要するものであって、別個の制度というべきである。
3 兵庫県では、いわゆる個人情報保護条例が設けられていないことは当事者間に争いがないところであり、それゆえ、原告らは、自己情報開示請求権は憲法一三条のプライバシー権に基づくものであるのに、個人情報保護制度ないしは自己情報開示制度が条例化されない限り個人情報の開示が一切認められないのでは、憲法一四条に定める法の下の平等原則に著しく反すると主張する。
しかし、自己情報開示請求権は、条例によって初めて具体的な権利として創設されるものであることは、右1に述べたとおりであり、憲法が各地方公共団体の条例制定権を認める以上、地域によって格差を生ずることは当然に予期されることであるから、かかる格差は憲法自ら容認するところであると解するべきである。そうすると、個人情報保護条例が未制定である兵庫県の取扱いをもって、憲法一四条に定める法の下の平等原則に著しく反するとはいえない。
したがって、原告らの右主張は採用できない。
二 争点2について
1 右一1で述べたとおり、公文書公開請求権は、条例によって創設されたものであるから、その保障の内容については当該条例によって規定されるものであるところ、本件条例は、その三条一項において公文書は原則公開としながらも、個人及び法人の私的な権利・利益と社会公共の公的な利益との調整を図るため、同条三項において「前二項の場合において、実施機関は、個人に関する情報であって、特定の個人が識別され得るもののうち、通常他人に知られたくないと認められるものを公にすることのないよう最大限の配慮をしなければならない。」と規定し、八条各号において、例外的に公開しないことができる公文書を列記している。そして、同条一号は、「個人の思想、宗教、健康状態、病歴、住所、家族関係、資格、学歴、職歴、所属団体、所得、資産等に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって、特定の個人が識別され得るもののうち、通常他人に知られたくないと認められるもの」を非公開事由としている。
2 非公開事由は、公文書公開制度において、国民、住民の誰にでも公開すべき情報と誰にも公開しない情報を区別するものであるから、本件条例八条一号の解釈についても、請求対象の情報がプライバシー情報に該当するか否かの判断に当たっては、請求者が当該情報の本人であるか第三者であるかを問わないというべきである。そして、「通常他人に知られたくないと認められるもの」とは、特定の個人の主観的判断の如何を問わず、社会通念に照らして判断すると他人に知られたくないと思うことが通常であると認められる情報をいうものと解するのが相当である。
3 ところで、診療報酬明細書については、療養の給付、老人医療及び公費負担医療に関する費用の請求に関する省令(昭和五一年八月二日号外厚生省令第三六号)二条によりその様式が定められている。そして、本件公文書は、証拠(乙八、弁論の全趣旨)によれば、右明細書のうち、「社会保険単独のものであって被保険者であるものに係る診療報酬明細書(入院分)用」で同省令の様式第二(二)に基づいて作成されたものであって、訴外産婦人科における原告由加里の平成五年五月七日の分娩に係る入院加療に関する情報(具体的には、原告由加里に係る保険者番号、被保険者証の記号・番号、氏名、性別、生年月日、傷病名、保険医療機関の所在地及び名称、診療開始日、診療実日数並びに投薬、注射、処置、手術・麻酔、検査等の内容及び点数)が記載されていることが確認される。
そうすると、本件公文書には、原告由加里の健康状態あるいは病歴等に関する情報であって、特定の個人が識別され得るものが記載されているから、本件条例八条一号に定める情報が記録されているというべきであり、本件処分は適法である。
4 これに対して、原告らは、本件条例八条一号はまさにプライバシー保護規定であって、当該プライバシー情報の主体である本人の公開請求については非公開とすべき実質的理由はなく、本人からの開示請求が認められるべきであると主張するので、判断する。
本来、情報公開条例で公開の対象となるのはあくまでも社会公共性を有する住民の共有財産としての行政情報であり、個人の自己情報開示請求権の対象となる個人情報はその埒外にあって、プライバシー保護の見地から本人の開示請求が認められるべきであり、それは、本来的には個人情報保護条例で規定されるべき事項である。
すなわち、そもそもプライバシー権の保護は、個人の人格的権利・利益の保護を目的とするもので、情報の公開によって、公共の利益を図ろうとする情報公開とは異なる面を持ち、情報公開条例の中に「間借り」的に規定されるべき事項でない。したがって、地方公共団体が住民等のプライバシー権の保護を本格的に図ろうとするならば、いわばつまみ食い的な規定による情報公開条例の保護規定では不十分で、別個の個人情報保護条例の制定が要請されるものである。
そして、右2で述べたように、本件条例八条一号は一般人の視点から非公開事由を定めたものであり、情報公開の請求者が本人であるか第三者であるかは関係ないものと解するのが相当であること、公文書公開条例によるにせよ個人情報保護条例によるにせよ、自己情報の開示請求を認める場合には、少なくとも、開示できない場合についての規定、本人確認についての規定、それに関連して、運転免許証など公的確認手段のない場合どうすればよいのか、また、本人でないとされた場合、その決定は争いうるのかについての規定、プライバシー放棄の意思確認の規定及び当該公文書のうちの自己情報部分の限定方法などの開示の方法に関する規定等をあらかじめ設けておく必要があるが、本件条例は、自己情報の開示に関する事項を何ら規定していないことを考慮すると、本件において、本人からの開示請求であれば本件条例八条一号に定める非公開事由に該当しないとの解釈をとるのは、条例の枠を超えた解釈であり、条例によらず新たな制度を作るものとなる。
また、原告らは、埼玉県や大阪府の情報公開条例の中に本人開示請求権を明文で規定していることは、非公開事由に該当する個人情報であっても、本人が請求する場合には非公開とすべき実質的根拠がないことを確認したものであると主張する。
しかし、本人開示請求権が当然の理であるならば、両府県の条例が本人開示請求権を定める規定を置かなかったものと解され、むしろ右規定は本人開示請求権を創設するものであるというべきである。
したがって、原告らの右主張はいずれも採用できない。
5 さらに、原告らは、本件公文書を公開する必要性が相当高いことも考慮すべきであると主張する。
しかし、本件条例八条一号の非公開事由は、あくまでも公文書公開制度において個人のプライバシーを最大限に保護するという観点から定められており、公開の必要性、有益性等については何ら触れられていないのであるから、これらの点は考慮の埒外にあると解するのが相当である。
したがって、たとえ本件公文書を公開する必要性が高いとしても、本件条例八条一号に該当する以上、公開の義務はないというべきであり、原告らの右主張は採用できない。
第四結論
以上のとおりであって、原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 辻忠雄 下村眞美 溝口稚佳子)